さちブログ

パニック障害、アスペルガー、場面緘黙を抱えながら、自己肯定感を持てるようになるまで綴るわたしの日記。

朝、『パニック発作』が来た。

昨日から、頭の中の人の罵倒 (幻聴) がやんで、静かになったのに、

 

何故か 1日経っても、スッキリしなかった。

 

 

そして今朝、「殺されそうななって、必死で逃げる夢」を見て、起きたら、

いつものように、《動悸》がした。

 

 

パニック発作の前兆の前兆」だ。

※わたし独自の言い方で、正式な名前ではありません。

 

 

こういう時は、いつもなる。

 

 

ところが数分後、それは【パニック発作の前兆】に切り替わった。

 

 

もう こうなると、本発作まで、1分くらいしかない。

 

 

手足から「スッ」と消えた感じがする、体温。

 

震える手。

 

手足から出る、やたら ねっとりした汗。

 

全身に「スッ」と来る、急な寒気。

 

揺れる身体。

 

段々、呂律が回らなくなる口。

 

そして、どんどん強くなる、異常に早い鼓動。

 

心臓が、プロボクサーが、「パンチングボール」を連打しているみたいになる。

 

※パンチングボール‥ボクサーがパンチの練習に使う、天井からぶら下がっている袋状のもの。

 

 

どんどん膨らむ、異常な不安感。

 

※普通、「この程度の出来事なら、不安40%」とかやってくれるから、

不安感が強ければ強い程、動けないので、その場や人に立ち寄らないので、

普段生きてたら、絶対に出さない「不安100%」を、この1分間の間に、加速して、浴びせてくる。

 

その様子と、異常なまでの量から、わたしは『不安のスコール』と呼んでいる。

 

 

そして、とうとう出て来た。

 

【気の狂いそうな感覚】。

 

 

どんどん、<本発作>に向かって、激しくなる。

 

正直、これが一番苦しい。

 

 

いつもは、これに加えて、「異常な性欲」が出てくるのだが、

まだ《本発作》ではないからか、出てきてない。

 

それは助かる。

 

 

しかし、まだ<発作の前兆>なのに、

 

もう、苦しすぎて、

 

ちょっとでも 死ぬ可能性が あるかもしれないから、

ベランダから、飛び降りたい気持ちに駆られる。

 

 

早いとこ 何とかしないと、

《本発作》が起きたら、

 

苦しさに、ハアハア言いながら、唸って、転がってしまう。

 

 

ただでさえ、今日、休日だから、

近所迷惑になるどころか、

下手すると、マンションを追い出されかねない。

 

 

母に電話しても 出ないので、弟に電話する。

 

 

こういう時の、わたしの一番良く効く解決法は、もう分かっている。

 

 

【わたしの話を否定せずに聞いてくれる人に、

今の正直な症状を、包み隠さず 伝える事】だ。

 

 

出なかったら、「救急車」に掛けるしかない。

 

 

今日、「支援センター」、休みだし、

 

飛び降りてから、誰かに救急車呼んでもらうより、

救急隊員も、患者の体が 無傷なうちに、助けたい筈だ。

 

わたしも、飛び降りる前に、助けて貰いたい。

 

 

大概、「電話口で 症状を伝えてるうちに 発作が収まる」のだが、

 

発作→少し収まる→発作→少し収まる→‥‥

 

を30分くらい繰り返して、救急車に電話して、

 

それから、病院に運ばれるまで、まだ繰り返していた事もある。

 

(救急車の中で、大分落ち着いたが、それでも、体が動かせない状態で、担架で運んでもらった。)

 

 

我慢しすぎてもダメな時は、ダメなのだ。

 

 

今日は土曜で、掛かり付けの病院も休み。

 

 

「救急病院」はダメだ。

 

 

まず「精神科」がない上、どこに行かされるかは、その時によって 分からない。

 

 

一度、「我が儘な、かまってちゃん」と疑われて、

 

診察が終わって、休んでいたら、

 

看護師さんに、えらく酷い事を言われた事がある。

 

 

先生でもないのに、何なんだ。

 

 

だから、なるべく、救急車のお世話にはなりたくない。

 

 

電話掛けた途端、何か、住所も言ってないのに、もう出動してるらしくて、

 

「今、向かっているので、詳しい住所を教えて下さい」

 

とか言われただけで、結構なプレッシャーだ。

 

 

話してるうちに、治るかもしれないのに。

 

 

でも、治らなかったら、

近所迷惑になるまで、喚き散らすか、ベランダから飛び降りるかだから、

 

やはり 掛けないワケにはいかない。

 

 

 

弟が出てくれた。

 

 

取り敢えず、一安心。

 

 

でも、治らない時もある。

 

 

弟は 遠くに住んでて、すぐに駆け付けては来られないので、

何としても、今、発作を沈めなければ いけない。

 

 

落ち着いて、今の様子を、逐一話す。

 

 

向こうは もう 慣れているので、静かに聞いてくれる。

(慣れさせてしまったのも 悪いが‥‥‥)

 

 

段々、頭も、鼓動も、静まって来る。

 

 

今回は、成功したようだ。

 

良かった。

 

 

一応聞いてみる。

 

 

「どこが悪いから、治らんと思う?

治せるトコ、ある?」

 

 

しばらく、沈黙が続く。

言葉を選んで、一生懸命 考えてくれているのだろう。

 

ありがたい。

 

 

「世間一般の価値観に、囚われすぎなトコ。」

 

 

そういえば、昨日YouTubeで観た《フェルミ漫画大学》でも、そんな事、言ってたな。

 

 

確か、

 

【人生やらなくていいリスト】 著:四角大輔さん

 

だった。

 

 

他の《フェルミ漫画大学》で紹介してる本でも、ちょいちょい、そういう話が出てきた気がする。

 

 

でも、それやらないと、

【社会不適合者】のわたしは、もっと【社会不適合者】になって、

ダメ人間になる気がして‥‥‥

 

 

あ、でも、その著者は、

 

「昔と今の日本では、求められている人材が違うから、

昔の常識を当てはめなくていい」

 

みたいな事を言ってたな‥‥‥

 

 

 

完治するのは 無理だとしても、

 

症状が出ないようにするのは、比較的 すぐできる事なので、

※例えば、毎日薬を飲む、調子が悪くなったら、安定剤を飲む、とか。

 

 

パニック障害』は、《パニック発作》さえ出なければ、

「ウツ」とは違って、無症状なようなものだ。

 

※「『広場恐怖』で、外に出れない」とかはあるが、

外出は、4日に1回、スーパーに お弁当を買いに行く程度なので、

そこまで困っていない。

 

~~~

 

落ち着いたら、安定剤も効いてきて、眠くなったので、寝る。

 

 

起きたら、11時半くらいだった。

 

 

母に電話する。

 

 

出た。

 

 

今のわたしは、まだ、母が居ないと、生きていけれない状態だ。

 

 

だから、「母の期待」にこたえれる娘でないと、

今後、調子が悪くなって、助けが必要な時に、困るのだ。

 

 

最近は いい意味で「諦めて」くれて、

 

「なるべく健康で、

死ななかったら(自殺しなかったら)、

それでいい。」

 

とは言ってくれているが、

 

 

本心は分からない。

 

 

 

一応、また 確認してみる。

 

 

 

「今、住んでる所は、近所に知り合いも居ないし、

色々聞いてくる、親戚のおばさんも、もういないし(大分亡くなった)、

親戚付き合いも、殆どないし、

近所には、あんたと同じような娘さんが、親と同居してるし、

 

世間的に 恥ずかしい事は、一切ないよ。

 

あんたが幸せやったら、それでいいんよ。」

 

 

 

どうも、嘘ついてる口ぶりではない。

 

 

母は、自分と同じく、自分の娘も、

「世間一般の幸せ」が、幸せと感じる人だと思って、育ててくれた。

 

 

全部、余計なお世話だったが。

 

 

でも、それだけ気にかけてくれた事には、感謝しているので、

気を使ってしまうのだ。

 

 

今日、発作が起こって、

「本発作」になりかけて、

ようやく、

 

どうやら自分は、まだまだ、症状は重いようだ

 

と、感じた。

 

※「パニック障害」は、「パニック発作」が来ないと、普通に過ごせる為、

実際の病気の進行度と、自分の病識が ズレてしまう事もよくある。

 

※病識‥「自分が病気である」と意識している事。

 

 

 

母は、どうやら、もう、本当に、「わたしにとって、安全な存在」らしい。

 

 

もう、家に来る度、小言を言ったり、

 

世間一般常識を、わたしに強いるような事を言わないのであれば、

 

 

今、母が動ける間に、この「汚部屋」を、何とかしてもらうのも、いいかもしれない。

※後 数年で、70歳。

 

 

 

フェルミ漫画大学》か《フェルミ研究所》で、

 

「散らかっている部屋は、【脳疲労】を起こす」

 

とか、言ってた気がする。

 

 

既に【脳疲労】起こして、数十年経つわたしが この部屋にいるのは、

治る妨げにしか、なってない。

 

 

 

掃除に来て欲しい旨を伝えたら、

 

「やっと分かってくれたんやね、うれしい」

 

と、喜ばれた。

 

 

 

長く掛かったが、今、この瞬間が、わたしにとって、一番若い。

 

 

もう、できない事もあるが、まだできる事もある。

 

 

まだまだ、やってみたい事もある。

 

 

そういえば、起きてから、

頭の中が、本当に静かだ。

 

 

安らかで、しんどくない。

 

 

 

取り敢えず、今日は、天気もいいし、

大好きなお蕎麦でも、食べに行こう。