木曜日、弟が急に
「土曜日、そっち行くから。」
と行った。
急なんで、何かあったのかと思ったら、
「特に何もない」
との事。
「特に何もない」と言う割に、
「日曜日はいかんの?」
と聞いたら、
「娘の誕生日だから」
とか。
いや、何かあるんじゃないか。
誕生日前に、おばあちゃんに会いたかったのかもしれんと、
わたしは、この間、弟に会った事もあって、遠慮した。
小さい頃は
「おばちゃん、おばちゃん」
と、何故か懐かれて、いつも後を追ってきていた姪っ子だが、
小学校低学年の時に、「コロナ」が広まり、
5年くらい、会わなくなった。
で、コロナ禍も収まり、会ったら、
もう中学生。
わたしに眼中ないし、話し掛けてこないし、
こちらが話し掛けても、困ったようにするだけ。
そんな姪っ子の誕生日前日に会うとか、
どんな苦行だ。
・・・というワケで、
パスし、
昨日(土曜日)は、
午前中は、体を休めて、
午後は、お琴のお稽古に行った。
しかし、なんでわたしは、
小さい子供とお年寄りと動物しか、好かれないんだろう・・・・・・
よく考えたら、弱い存在か、未知の生物との遭遇だったりする。
わたしは、害のない存在のように見えているのだろうか?
それは、うれしいが、
でも、ちょっと年を取ると、相手にされなくなるのは、
「こいつ、弱そうだから、学ぶ事もなければ、一緒にいても楽しくない」
とか、思われてる事になる。
「姪」という生き物は、また違うものかと思ったら、
親戚の小さい子達や、弟と、なんら変わらなかった。
いや、「精神的に、普通に育ってる」事を喜んでやるべきなのか?
まあ、わたしが、姪っ子が小さい時に、遊びに付き合ってあげたのは、
「わたしは子供がいないから、
将来、年を取った時、
後見人や保証人になって欲しいから」
であって、
確かに「子供」は可愛いものだが、
「他所の子」とどう違うのかは、さっぱり分からなかった。
(別に、わたしが育てたわけでもないし)
去年、弟に、
「姪っ子が、もう、懐いてくれてない。
将来年取った時困る」
と言ったら、何故か憤慨され、拒否されたので、
正直、姪っ子には、無理してもう仲良くする目的がなくなった。
わたしは、特に病気になってからは、
「利用価値のある人間としか仲良くしない」
事にしている。
利用価値のない人間と仲良くする精神的余裕なんか、ないからだ。
でも、「人を利用」とかいうと、
大体嫌な顔をされる。
だが、「図書館」や「バス」だって、
言い方を変えて
「図書館を利用する」、
「バスを利用する」、
とか言ってるだけで、
実際、図書館を建てたのも、バスを作ったのも、
図書館を作ることに決めたのも、
バス会社を作ったのも、
人間が直接やってる事で、
あちら側も、わたし達の払った税金や料金をで、お給料、もらっているじゃないか。
わたしは常々、
「人は、『良い利用法』と『悪い利用法』」
があると考えている。
わたしが姪っ子を利用しようとしたのは、『良い利用法』の方で、
将来、「老人ホーム」に入りたい時、保証人がいないと難しいからの先行投資で、
入った先で、利用者から、お金を騙し取ろうとか、『悪い利用法』で近付いたワケじゃないし、
弟達夫婦だって、年取ったら、子供(姪っ子)に全く面倒見てもらわない事なんて不可能なのに、
何なんだ、
と思う。
わたしは子供がいないから、子供を持つ人の気持が分からないが、
だったらそっちも、子供がいないこっちの将来の不安を汲み取って欲しいと思う。
そもそもわたし達は、元々「子供」だった時があったワケで、
「子供」の時は、産まれた時から、
「親や先生などの『大人』を利用しないと生きていけない」
から、そうしてたじゃないか。
でも、何故か大人は、
「人を利用するな。
それな悪い事だ。」
と言って、矛盾した事を教える。
わたしは小さい時から、その矛盾が、よく分からなかった。
で、本当に、
「親も先生もクラスメイト」も、
「必要最低限に関わり、
本当の本当に困った時だけ、助けを求める」
という事をしていたら、
「本当に困った」時、大体、助けてくれなかった。
やっぱり、普段から仲良くしておかないといけないんじゃないか。
でも、気付いて改めようとした時には、精神病になっていた。
だから、姪っ子ができた時、可愛がってあげていたのに、なんなんだ。
人付き合いは、ホントよく分からん。
〜〜〜
〈昨日の「ポジティブ三行日記」〉
・朝ご飯作れた。(レンチン茹でとうもろこし)
・洗濯物、2回できた。
・外出できた。(お琴のお稽古、買い物)