さちブログ

パニック障害、アスペルガー、場面緘黙を抱えながら、自己肯定感を持てるようになるまで綴るわたしの日記。

「頭の中の人達。」

今日は、ずっと うるさい日でした。

わたしの「頭の中」が。

 

「死にたい」と言えば、「大丈夫」と返ってきて、安心したら、「いつもそう言って、死なないね。いつ死ぬの?」とか、「ほら、自分がどんなに駄目人間か、さっきから、立証されてるじゃん。」とか反論してきます。

 

「誰もそんな事は言ってないし、法律でも、最低限の生活は、保障されているよ」

と誰かが反論すると、

「本音と建て前は違うよ。馬鹿でも生きていて欲しい奴はいるし、賢くても、今すぐ死んで欲しいクズだって沢山いる。

でも、国が一人一人、それを確かめてたら、税金がいくらあっても足りない。

だから、いっそ そいつらに、『最低限生きる金』を最初っから渡した方が 安く済む、ってシステムを取っているにすぎない。」

と、他の誰かも、反論してきます。

 

「国を動かしてる “だけ” の、同じ “人間同士” が、他者の寿命まで、勝手に決めていい筈ないでしょう?」

「  “人間だから” 、こそ、自分にとって利益のある人間は、『長く生きてて欲しい』と思うし、自分にとって不利益にしかならない人間には、『早く死んで、この世から消えて欲しい』と思うものだ。」

 

「今まで『死んで欲しい』とか、『この世から消えて欲しい』と言われたことはありませんが?」

「じゃあ、何で誰も寄って来ない?話し掛けて来ない?

言われずとも、分かっていることじゃないか。」

 

「『生きてて欲しい』、『元気になって欲しい』と言われた事はありますよ。」

「『家族』や『利用してる福祉関係の人達』だろ?

そりゃ、そういうさ。みんな『失敗』より、『成功』して、人に認められたいものだ。」

 

流石にここまでくると、場外が黙ってはいません。

 

「脳は、勝手に死ぬ事を決めるな!身体みんなは、まだまだ健康で、生きたいんだ!」

 

と、わたしの骨肉、血に至るまでが、猛反撃をしてきます。

 

「‥‥とにかく、これは、“貴方” が決める事ではありません。」

「‥‥そう、これを決めるのは、『さっきから布団に寝そべって、「死にたい、死にたい」しか繰り返してない』そいつだ。」

 

そう。

わたしは さっきから、「死にたい」しか言ってないし、思ってない。

疲れて、それしか繰り返せない。

 

「もうわかってるだろう?」

 

「お前はもう、役立たずなんだ。唯一 人の為にできる事と言ったら、『自殺して、もうお前に関わらずに済むんだ』と、喜んでもらう事なんだ。」

 

「‥‥‥‥あーーーー‥‥‥、うるさい。

 

「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!!

 

「「「‥‥‥‥‥‥」」」

 

一瞬にして 静かになるも、また、ワイワイガヤガヤ始まる。

 

「またこいつ、寝てるぞ。生産性のない。」

「休んでるんですよ。」

「今は、平日の昼間だぞ。」

 

そうだ、まだ昼過ぎ。

寝たら、この喧騒は終わるが、その代わり、寝れなくなった深夜に持ち越される。

安定剤を飲んでも終わるが(たまに終わらない時もある)、副作用で、やっぱり寝てしまうので、飲みたくない。

「‥‥夜に寝たいなあ‥‥‥。昨日みたいなのは、勘弁だ。」

結局、昼間は、我慢する事になる。