さちブログ

パニック障害、アスペルガー、場面緘黙を抱えながら、自己肯定感を持てるようになるまで綴るわたしの日記。

「生きる意味」とか、“普通”は考えないらしい。

昨日、お惣菜の買い出しに出掛けたので、今日は 大変疲れています。

昼前に、久し振りに 足の裏を「マッサージ器具」でトントンしてたら、滅茶苦茶 凝ってて、なかなか やめれませんでした。

出掛けたら、翌日 必ず全身しておかないと、いつまで経っても、凝りは取れないようです。

 

疲れて動けないので、母に

「何で、何もできないのに、生きているのか分からない」

と言ってると、

「頭がいいから、そんな事 考えるんよ」

と言われました。

何か、小さい頃から いつも言われてますが、うれしいと思った事はありません。

何故なら、小学校に上がってから、『自分は周りと違う変な存在』だと気付き始めたからです。

 

小学生の頃から、テストの成績だけは、そこそこいい点を取る事ができました。

勉強が そこそこできる頭と、テストでいい点を取るコツを知っていたので。

 

学校のテストって、何回かやってるうちに[傾向と対策]が分かってくるんですよね。

だから、テスト数日前に、そこだけ必死で暗記すれば、そこそこ いい点が取れるのです。

でも、テストが終わったら、忘れます。

丸暗記で、理屈で覚えてるワケではないので、当たり前ですけど。

 

でも、当時から、多分「脳疲労」が 蓄積しつつあったわたしには、「学校で目を付けられないようにして、高校まで卒業する」には、これが限界でした。

弟とゲームやってる時だけが、生きていける唯一の「ストレス解消法」だったので、その時間を、どうしても削れなかったのです。

 

そして、緘黙で 友達がいないから、遊びに誘われないのと、高校は「商業科」だったのもあって、TVゲームに飽きたら、「資格試験」をゲームに見立てて、ガンガン資格を取っていました。

親は喜ぶ、先生は取り合えず安心する、そしてわたしは、空いた時間、またゲームをやるで、高校卒業して、社会に出るまで、それで済んでいました。

だから、緘黙で喋れなくても、アスペで変わってても、「でも、大人しくて、勉強できる賢い子だから」で、乗り切れていました。

 

社会に出た途端、一年目で、全く使い物になりませんでした。

 

使い物にならないと、職場に居辛くなります。

すると、ウツ状態で出社できなくなります。

そしたら、仕事を辞めるしかありません。

 

ウツ状態で動けないので、家で、毎日 泣きながら、寝る事しかできません。

そこそこ頭が良いのに、何もやる事がなかったら、考えるしか 暇つぶしができません。

そしたら、必ず最後は、

「なんで生きてるんだろう」

「なんの為に生まれてきたんだろう」

「なんで人気があって若い有名人の方が亡くなって、出来損ないのわたしが、いつまで経っても、死なないんだろう」

という思考に辿り着きます。

 

ここら辺は、昔から、変わっていません。